絵画 不朽の名作 印象派編 前半

1. 印象主義の源流

印象主義は思想や芸術に関するさまざまな変革、たがいに対立する多くの変革の中から生まれた。まず何よりも、印象主義は美術における自然主義の伝統、つまり画家が描くのは現実のままの像(イメージ)であるという考えに由来する。だが、この一見単純に思える考え方には単純に片づけられない曖昧さがつきまとう。現実のままの像といっても、画家が描くのは、画家がそうであると知っていることなのか、それとも画家や他の人たちが見たものなのだろうか。未開会社では、人の顔にはふたつの目があるのだから、描かれる像にも同様にふたつの目があるはずだと考えることが多い。ところが、ルネサンスに至ると画家達は、描かれる情景は自分達がそうであると知っていることではなく、ある視点から見たものだと考えるようになった。こうして、人の横顔にはひとつの目しかなく、近景の人物は遠景の城よりも大きくなる。遠近法はヨーロッパの人々の慣習として受け入れられ、あまりにも自然なものとなったので、遠近法にしたがって描かれた机の素描をみて、同じ伝統を持たない人たちが単に歪んだ姿だと思うことに驚くほどだった。印象主義の登場は、ルネサンスが形の再現に関してもたらしたものに匹敵する革命を、色彩の再現について引き起こしたのだといっても良い。印象派の画家達は、美術の歴史の中で始めて、私たちが知っている対象の色ではなく、見たままの色彩で対象を描くことに一致して取り組んだものである。

しかしフランスを含む国々の美術制度において、自然主義が広く浸透していたわけではない。というのも、現実をどう再現していくかといった問題はルネサンスの時代に答えが出ていると信じられていたからである。画家がなすべき仕事は理想的なものを探究し、自分の絵画に表現することによって、現実の世界には欠けている理想的なものを人々にもたらすことにあると思われた。画家は職人と同じように、彼が生きる社会に奉仕するものだと伝統的に考えられてきた。自然主義が花開いたのは、17世紀オランダのように、絵を購入する人たちが現実の再現に興味を抱いている時代だけだった。印象派の画家達が製作の拠りどころにしたのが驚くべき信条は、常識だったわけでも、求められていたわけでもない。むしろ当時の人々は反抗的な企てを感じとったものであり、私たちはそこにロマン主義の影響を考えなければならないだろう。

ロマン主義の画家達は日常的に現実を描こうとはしなかったが、個人と社会や自然の関係をどう考えているかについて、彼らの見方は決定的な影響を与えた。ロマン主義はヨーロッパの思想の流れにふたつの革命的な考え方をもたらしたのだった。ひとつは、個人の人格を持つ重要性は、社会階層の中で人が占める位置によって制限されるものではないと考えたことである。そひて彼らはこの見方を既成の思想に真っ向から対立させてゆくことが許され、ある意味では英雄的でさえあると考えた。ここから、高貴な追放者という概念が生まれる。社会に誤解され追いやられることは、かつては惨めで蔑まれることだったが、ロマン主義の文脈では勇敢なことに変わった。もうひとつは、自然はこれで人間によって秩序づけられる限りにおいて賞賛されたが、自然そのものが美しいと考えたことである。先に触れたように、自然主義の伝統には未解決の問題が残されていたが、ロマン主義は自然に対する姿勢を示したのだった。その姿勢ゆえに自然を学ぶことが大切にされ、また彼らが提起した芸術家像は、公衆から非難を浴びせられることも恐れずに、画家が自然を追求することを可能にしたのである。

クールベとバルビゾン派の画家達は、印象主義の誕生について、3番目の本質的な要素、すなわち、こうした道を実際に歩み出した先例を示した。クールベは、彼の作品と思想において理想主義とロマン主義の両方を拒絶したが、それでもなおロマン主義的な追放者の典型だったといえる。彼は《オルナンの埋葬》などの作品で、庶民(彼らが上流社会の客間にいることがありえないように、権威ある画家が彼らを描くことはないだろう)を描こうとしただけではない。彼は現実の農民の姿を描き出すことによって、ミレーらの絵に描かれた貧しい農民にセンチメンタルな共感を見いだそうとしていた人たちを憤慨させたのだった。このような蛮行は、クールベと当時の政治体制(急進的な共和主義者だったクールベは毛嫌いしていた)のいずれもが抱いた確信から生まれた。つまり普通の人々が絵の主人公にふさわしいと認めることは、彼らが統治者としてふさわしいことをも意味する。そして公の美術がまがい物であることを暴くことは、体制の構造もそうであることを示唆するのである。画家達はクールベの例から、現実を描くことは単なる技術的な課題ではなく、むしろ社会的文脈と解釈にかかわる行為だということを学んだ。また彼らは、芸術家が社会に挑戦することができることを、そして少なくとも、数多くの悪評とわずかな賞賛が得られることを学んだのである。

もっとも、印象派の画家達はクールベの絵の主題や技法にそれほど引かれたわけではなかった。自然を理解するための科学的な政策態度の例を示したのは、コローとバルビゾン派の画家達にほかならない。彼らの作品は、風景画の歴史の中で革命的な役割を果たしたとは決していえないだろう。光や霧の効果を描いたターナーの絵は大気の表現に関してもっと魅惑的な例を示しており、バルビゾン派について強調されることの多い戸外制作に関しても、イギリスの風景画家たちが尊敬の目を向けたのもやはり彼らの作品であり、そこから絵の主題や自然を描く方法を学んだった(モネの場合は、ブータンやヨンキントの名前を加えなければいけないだろう)。

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